「どなたかこの文字がおわかりになるかた・・・/夏のシクラメン」こもだ まり  1999/05/15


盛況だった「われに五月を」最終篇を終え、一週間ほどたって所用の為、昭和さん宅 を訪ねた。「こもだ、シクラメンはこんな季節まで咲いている花なのか
な・・」。汗ばむほどの午後のことだった。昭和さんは花びらに水がかからないよう に注意深く鉢のまわり一杯に水を差していた。
「五年ほど前になるかな?ある日突然、路上で倒れてね、その俺を見つけてすぐ救急 車を呼んで命を救ってくれた人がいたのよ。その人が下のクリーニング屋のおばちゃ んでね、それ以来、毎年暮れにはお歳暮持って行くんだけど必ずお返しに花が来るの よ。これも去年の暮れに貰ったんだが、もう半年も咲き続けだぜ、俺の命が半分こっ ちに行ってるせいなのかな?」と笑う。私の知らない、舞台では見たことのない昭和 さんがそこにいた。

やがて昭和さんは大好きな黒ビールで喉を潤おし、コソボ解放軍の画像に見入ってい た。
「こもだ、寺山さんと行ったユーゴスラビアの話をしてあげようか」
そういって自分の部屋から茶色に染まった大きな紙袋を持ってきた。中にはユーゴ全 土の詳細な地図やベオグラードの観光地、バスや電車の時刻表、デパートや有名レス トランの住所と電話番号が書かれた資料が美しい風景の絵葉書とともに入っていた。 そして、ベオグラードを始めサラエボ、ノビサド、スコピエ、ザクレブ等の諸都市で のひと月に及ぶ『邪宗門』公演の話を「昭和さん、それは嘘でしょう?」と言うほど 大げさに話してくれた。各都市での毎回の乱闘事件、移動中の車中で実際にお金をか けてポーカーをやった為寺山さんと一緒に警察に捕まった話、一流ホテルのロビーに 群がる高級コールガール、J.A.シーザーが見つけてきたセルフサービスの安いレ ストラン、グランプリ受賞を知らされたベオグラード駅のホームでの話などなど・・・ 。
「ある街に行った時、時間があったので一人でぶらりと公園に行ったら東洋系の人を 見た事がないからかは知らないが栗毛色した長い髪の15.6才の二人の少女が俺の 後をついて来るわけ、それで俺も振り返ってにっこり笑ってあげたら仲良くなってね、 三人でベンチに腰掛け当地で配布されていた公演のチラシを一枚あげたのよ。そした ら、ああ!という顔をした。日本に帰ったら何か欲しい物を送ってあげるよ、と身振 り手振りで話したわけ、書く物と紙を貸してくれって向こうも身振り手振りで来てね、 描いた絵がなんと「下駄」だったんだよね。1971年のことだからもう28年も経っ てしまったけど結局送らずじまいで、最近妙にその少女二人のことが気になってね。 いいおばさんになってると思うが、当時はどこのレストランに入ってもチトー大統領 と国民的英雄と思われるサッカー選手の2枚の写真が飾られていたけど、今はこうで しょう?」私がまだ生まれる前の頃の話を次から次へと話しているのをみて「今日の 昭和さんどうかしている」、心の中でつぶやいた。
「うん、一度俺のHPで現地の言葉が理解できる人がいないか尋ねてみてくれないか な?」
昭和さんの行った当時の旧ユーゴは本州と四国を合わせた広さで、人口ざっと230 0万人、7つの国境と6つの共和国からなり、その中に5つの民族、4つの言葉に3 つの宗教、2つの文字を持つモザイク国家であったと教えてくれながら昭和さんは古 びた紙切れを手渡した。

HATIXhe MAKSVTi
   KL.//3
Skk.ZEF.LUSh.MARRV
 ShKVP−91000
JUGOSLLAVISA
(原文のまま)


どなたかこの文字がおわかりになるかた、ご協力ください。私からもお願い申し上げ ます。1行目はひとりの少女の名前、ハテジェ・マクッスティと発音するそうです。


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