「われに五月を」からの手紙/こもだまり



『われに五月を』(作/寺山修司 構成・演出/昭和精吾)
日時=2002/05/04
会場=初台 The Doors
出演=昭和精吾
ゲスト=三上寛




Nへ

2002/05/20

ジァン・ジァン閉館と同時に封印していた『われに五月を』東京公演、しかも寺山さんの命日ドンピシャでは何年ぶりだ?
去年の冬、ここDoorsの寺山さんトリビュート企画に出たときに「昭和さん、命日ここで一緒にやろうよ」と三上さんが提案して、昭和さんが受けた形で実現した企画。

今日はいろいろ気持ち良く事が進んだ。 朝、四人いないと荷物を運べないとのことで、イッキさんと鷹木さん(ギター弾き語りをする昭和さんの友人。今年の3月、清澄白河にある「詩(ポエム)」というお店での初ワンマンライブの際、お祝いに昭和が「アメリカ」を読んだのでそのお礼に手伝いに来てくれた)と八尾さんが昭和精吾事務所から昭和さんに同行して初台へ向かうことになった。私が早く目が覚めてしまって寝不足気味で初台の駅の階段を昇っていると、エスカレーターに四人の姿が。もう一人朝から入ってくれる相田さんも改札あたりで合流できて、珍しく全員揃っての劇場入りでした。

The Doorsの会場は何度か来て勝手が見えてきてるし、今日は出演があるわけでもないし純粋に公演を見られるなあ、などと呑気な予想は改札でスライド映写 機を発見した時に陰りをみせた。スライドは98年の『花岡物語』以来、私の仕事の定番となっていて、出演より緊張する代物。持ってきてるんだから使わない筈は・・・ないよね。男衆が舞台のセッティング、私は覚悟を決めてスライドを箱から出しているところで昭和さんから早速「こもだ、スライド映して。ビデオとの兼ね合いみるからビデオも映して」との要望。
(正確には会場が地下二階で、楽屋が一階にある、その間の地下一階)スタッフ席として観客には非開放の中二階ラウンジには舞台に向かって長テーブル、ビデオ映写 機がセッティングされていた。 Doorsのスタッフさんが降りてきた私に「ビデオの使い方なんですけど」と否応なしに説明をしてくれた。 どうやらどっちも私の管轄らしい。「昭和さん、私の定位置はここでいいんでしょうか?」と下の昭和さんに訊く。「あと誰が空いてるんだ?笛は誰が吹くんだ?八尾か?相田か?」「私もここから吹けますよ」「じゃあこもだと、舞台上手に八尾と、客席に相田ね」質問への答えはないが、私はここにいることは決定らしい。ラウンジには照明ブースもあって、音響ブースは地下二階(会場階)にある。音響のきっかけ表を遅くまで作っていて寝不足のイッキさんが音響のオペをする。写 真は音響ブースで仕事中のイッキさん。右は私の仕事テーブル。光ってるのがビデオでノートの前にあるのが慣れ親しんだ昭和さんのスライド映写 機。

いつもの通り「じゃあ頭から行くよ、いい?」といきなり場当たりが始まった。HP用に今日はちゃんとデジタルスチルカメラを持参して稽古から写 真を撮りまくった。相田さんもデジカメを持ってきていて「私は上からしか撮れないから、客席からいろいろ撮ってみてね」と分担。どうやら私が忙しいのはオープニングだけで、いつもの『おさらばの辺境』朗読に合わせて映し出す生原稿までスライドはなかった。今日こそ久々ゆっくりと昭和さんを見て、聞けるんだ、と思った。
3つめのきっかけで「ここで風ね」と何気なく昭和さんの言った一言にイッキ「か、かぜ・・」のあと絶句。「出ない?」「いや出るんですけど、ええと、ちょっと今は出ません、ていうか、はい、後で出せるようにしておきます」と、てんやわんやの受け答え。どうやら昨日書き上げたプランは練り直しになったらしい。ゲネ終了後のラウンジには、くわえ煙草でキッカケ表を1から書き直しているイッキさんの姿があった・・・。

マチネ。客席を上のラウンジから撮るほどの余裕。写 真撮りまくっているうちに、ビデオ撮影の段取りがないことに気づくと同時に、撮っておかないといけない気がして、マチネを終えて客出しをしたあと、ダッシュで動画のデジカメを自宅へ取りに行った。三脚はこれまではめ方がわからなくて一度も使えてなかったのだけれど、針金でもガムテープでもいいから固定して使うことを思いつく。荷物になるから電車で読む本と財布と携帯電話さえあればいいやと思ったのが間違いの元で、鞄に家の鍵を忘れて来た。大家さんに本鍵を借りて家に入る。固定方法を決める為に三脚を出したらなぜかカメラとの接続方法がわかってしまった! あの突然のひらめきはなんだったんだろう?寺山さんがささやいた、のかな?
ソワレ。
Doorsに戻ったときにはもう客席開場していて、寺山さんの講演の声が聞こえる中で昭和さんの青森公演ビデオが上映されている。サイレント上映だけれどスタッフの私たちには照明の加減でシーンがわかる。もしかしたら熱心なお客様もわかっていたかもしれない。急いでカメラを三脚にセッティングして、スライドの準備して、本番に備えました。

 

寺山さんの声の音量が上がっていくのに合わせて場内暗転、暗闇に寺山さんのよむ短歌が聞こえるところから、舞台は始まる。

ほどかれて少女の髪に結ばれし葬儀の花の花言葉かな ・・・

高尾の、今まさに法 事が行われているであろう、寺山さんのお墓の写真が映し出される前に、墓前に参るように立ち、それを見上げる昭和精吾と三上寛。

「今日は、寺山さんの一番好きだった歌から、始めていきたいと思います。」
喪服の昭和がハーモニカで吹く「あかとんぼ」。

短歌、恐山和讃から長編叙事詩『李庚順』。

 

「大正二年七月のはじめ、北海道空知郡の大地主、苫米地繁太郎は納屋の藁の上で女中の曽根ハルを強姦しました。・・・」

『鞍馬天狗』~『おさらばの辺境』。
演説 そして孤独の叫び『アメリカ』。

「パパ、歴史はなんの役に立つの さあ説明してちょうだい」。

その書物はそう始まっていた。あれは何の書物だったか? 笑わせちゃいけない。俺達は俺達の創りだした物の中でしか、俺達の行為の向かう方向でしか生きられないのだ。 もう、

 

手遅れだった。


 

「その時、おれは映画館の便所の中にかくれていた。
刑事がおれをつけてきて、暗い客席を懐中電灯で照らしてあるいている筈だった。
おれはもうアパートへは帰れないな、と思った。
強姦魔には「帰る家がない」 さ。

するとおれは思いだした。
アパートの物干しに、洗濯したまま干し忘れてきた新しいシャツのことを。
土曜日にはあれを着て、田中鉄工所に面接にいくことになっていた。仕事が決まれば金が入る。そうすりゃ女なんかいくらだって抱けだのだ。


 

 

三上寛ライブ。

♪パイナップルの缶詰めは なにかどこか おかしい・・

♪爆破すべき美術館
そうすべきではない美術館・・

 

 

 

『雪か?』~『国家論』。


鳥が翼で重力を支えていられるのは
ある速度で空気中をすすむときに
まわりの空気が抵抗で揚力をおよぼし
それが鳥のさびしさと釣合うからだ。

 

もっとも高い もっとも高い
もっとも高い場所でめざめることだからだ!


終演したときには、マチネもソワレも予定外にずっとカメラを構えて目を酷使したからか、肩がばりばりに痛かったし、昭和さんの用意してくれたお弁当を食べる時間はなかったからお腹もばりなりに空いて頭痛くなっちゃった。

ばらしのあと、寛さんのファンクラブの方とか、お客様で残ってくれた方と、Doorsスタッフの方々と一緒に会場で打ち上げをしたので、写 真を載せておく。
ジァン・ジァン閉館からこっちずっと会うことのなかった大村さんと佐藤さんも見に来てくれました。ふたりとも今も舞台制作に携わっているんだって。

なんだか昭和さんの公演をひさしぶりに聞いた、浴びた、って感じがした一日だった。『李庚順』の、琵琶のあとのファッションがいつもの早替えのアロハシャツじゃなくって、喪服でネクタイを緩めただけの姿なのが、かっこよかったよ。

見に来られたらよかったのにね。
せめて、写真で味わってください。いくつかの写真は、クリックすれば大きく見られるようになってるのもあるから。

じゃあね。

まり

 





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