寺山修司生誕70年記念ライブ「雑踏にまぎれて叫ぶ種子あり」からの手紙/こもだまり



『雑踏にまぎれて叫ぶ種子あり』
日時=2005/06/03
会場=新宿Live Freak

第一部 第十三号雑居房(犬吠埼ヂル・こもだまり)
第二部  母檸檬(御手洗花女・御手洗水子・宇津救命丸・赤髪水仙丸・チョロギ)
第三部 昭和精吾




Nへ

2005/06/03

ライブ「雑踏にまぎれて叫ぶ種子あり」当日。
今回は昭和さんのスタッフ(照明)だけでなく、第十三号雑居房のヴォーカルとして出演もある。 大阪でも照明しながら影マイクで「仮面劇・犬神」の月雄の台詞を読んだり、出ていって「日本自殺考」を読んだりしたけれど、昭和さんと一緒なのに昭和枠でないところに出ることも、純粋な「ライブ」ということも初体験なので、なんだかスタンスが測りきれない気持でいた。自分のところの日誌にも書いたけど、少し前にふっきれた、理由は「昭和精吾みたいに、俳優として舞台にあがろう」と決めたから。バンドのヴォーカルとして、と言われてもわからないし、枠はバンドでライブだけど、私がやっている俳優の仕事の一環なんだと認識して、昭和さんがそれこそ「職業・昭和精吾」として舞台にあがってトークしているところから、一瞬で寺山さんの言語の世界にすとんと落ちる(すっと入る、とかいろんな表現ができると思うが)ように、こもだまりとして舞台に上がって、すとんと曲の世界に落ちて、帰ってくるようなライブをしたいと思ったら、腹が決まったのだった。昭和さんに感謝。

13畤入り、雑居房のヂルさんはもう着いていて、「会場の人がセッティングをしている」と言う。まだ照明をいじれるようになるまで時間がかかりそうなので、まず地上に出てメアドを知ってるお客様には「場所ちょっとわかりにくいです。PIT INと同じビルの地下です」とお知らせし、サンドイッチと飲み物を買って帰る。 ライブハウスのかたは、オペをする人も会場の担当の方もみんな若い。腰で太いジーンズを下げめに履いてボーダーのポロシャツのきれいな顔の細身の、メガネはダテ(ファッショングラスっていうの?)っぽい若いお兄ちゃんが照明さん。今日の会場責任者のはきはきしたお兄さん=村田さんもたぶん歳下。音響さんは髪がドレッドをほどいたようなきついウェーブのはっきりした顔の鈴木さん。受付のお姉さんも通 るたび「おつかれさまですー」と言ってくれて、感じのいい人たちだった。なんとなくもっとどんよりした空気を想像していたので、安心した。
照明と出演、二重の緊張のため、サンドイッチが喉を通らない。そんな繊細な神経を持ちあわせていたとは自分でも意外だが。それでも何か食べないと絶対持たない、ミルクティで流し込むように食べる。

照明の打ちあわせで私が「照明が本業ではないので」と言ったら、「このフェーダーを上げると明かりがつきます」てところから丁寧に(笑)教えてくれた。「基本的にセンターの椅子に座って朗読するので、センターにスポットのように当たる明かりはありますか?」とか「組んである明かりはありますか?」とか聞いて、そしたらストロボも目つぶしも色とりどりがチカチカするやつもあったので、もうなんとかなるなと一安心。 そのあと自由にいじらせてもらって各フェーダーの内容を確認。あとはどこで何を使うかのプランを決めるだけだ。・・・と、脇に”fog”と書いてあるリモコンを発見。もしや・・・「すみません、fog machineって、使えますか?」「・・・ふぉぐってなんですか(笑)?」「スモ・・・(ークでも通じないかも)ええと、煙です」「あ、使えますよ」fogって書いてあるからわざわざそう言ったのに、スモークで通 じたか?なんにせよ、これは昭和さん、喜んでくれるはず。
だいたいのプランができた頃昭和さんから電話。「場所どこ?」という昭和さんを地上に出て迎えに行く。スモークがあることと、必要な段取りを伝える。第十三号雑居房のリハの時間になったので、オペ用のジーンズのままだけど、足場は心配なので足袋は装着。昭和さんは楽屋に入らず、客席で雑居房のリハーサルに付きあってくれる。制作の手伝いで野口有紀ちゃんが来てアンケートを折ってくれていた。

音の調整。客席にいる昭和さんに「音のバランスどうですか?」とヂルさんが聞くと「う~ん、台詞が何言ってるかわからないな。」という。リズムが相当大きい曲なので、聞こえづらいらしい。PAさんに「ここはリズムが最大に大きいので、ここだけ少しボーカルを上げてもらえますか?」というとPAさんが無言でうんうんと頷く(大声で返事をしないあたりが場慣れを感じて、心強い)。「・・・うん、これならはっきりわかるな。」と昭和さん。大阪で初めてやって、今回昭和さんの提案で特別に入れることになった『日本自殺考』もやる。「やっぱり生演奏はいいなあ」と昭和さん。
「私へのダメ出しもしてください」と言うと「最後・・・」というから読み方のダメだしかと思いきや
「さようなら、さようなら・・・って終ったあと、ギターがガーッと上がって、また下がって終わると決まるんじゃないか?」
昭和さん、それは私へのじゃなく、演奏への提案・・・。

時間があるので全曲軽くの通すかと思ったが、音量のバランスを取っただけで、短めに終了。 けれどまだ母檸檬さんは集合していなかったので、昭和さんのリハを先にやることにする。音響のイッキさんの準備を待って、最初から段取りを追う。 「スモークが出るって本当ですか?」と嬉しそうな昭和さん。やっぱりスモークがあるとないとじゃ、ノリが違うのか。
「なんか音がこもって聞こえるな・・・」という昭和さんに「それは昭和さんの足元のモニターから出てる音で、こっちのスピーカーの音はきれいに聞こえてますよ」と言う。PAさんも「その音も会場を回って届いてるから舞台で聞くと余計にこもって聞こえるのだと思います」というので「昭和さん、お客さんがはいれば、音が回ってこなくなるので大丈夫です」と言うと「じゃあ気にしなくていいんだな」と笑顔。「自分の外音は一生聞くことはできない」=モニターの音はお客が聞く音とは別物と割り切って作れ、という、ライブ経験者のアドバイスが非常に役にたった。

昭和さんもすんなりリハーサルを終え、外に出て打ちあわせつつごはんを食べようと言うので母檸檬さんがリハの間(本番は着替えてて見られないから見たかったけど)に近所でごはん。昭和さんとイッキさんは朝ご飯から食べてないので減っていると言って一人前ぺろりと食べてた。昭和さんはイベントのオープニングで影マイクで読む普段やらない詩のせいで変な緊張をしているらしい。昭和さんのプレッシャーになったのは申し訳ないけど、ヂルさんの提案で新しい詩を昭和さんが読むのを聞けるのは、とても嬉しい。ヂルさんのお手柄だ。

出番が終ったら着替えてしまうので、本番前に集合写真を撮ろうと思ったら不在者が多かったが、昭和さんとイッキさんと私とヂルさんと母檸檬の花女さんとで写 真を撮った。

本番。昭和さんは直前まで「遺稿の方がよかったな、あれならやったことあるもんな。それか・・・短歌やるかな。いつもの"燭の火に・・・"のやつをだーっと」などと言ってふざけつつ、楽屋の隅に座ってずっと文字を追って集中していた。 ヂルさんはずっと舞踏の振りを確認してるようだった。私は緊張してる昭和さんをみていたら落ち着いてきた。もしかして術中にはまったのだろうか(いい意味で)。
寺山さんの講演会のBGがF.O.して、昭和精吾の詩の朗読。

昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかゝって 完全な死体となるのである
そのときが来たら ぼくは思いあたるだろう
青森市浦町字橋本の 小さな陽あたりのいゝ家の庭で
外に向かって育ちすぎた桜の木が
内部から成長をはじめるときが来たことを
子供の頃、ぼくは 汽車の口真似が上手かった
ぼくは 世界の涯てが
自分自身の夢のなかにしかないことを 知っていたのだ
(『懐かしのわが家』寺山修司)


地下水道をいまとおりゆく暗き水の中にまぎれて叫ぶ種子あり

続けて私が、イベントタイトルの元になっている寺山さんのこの短歌を読み、演奏へ。

第一部  第十三号雑居房
1,第十三号雑居房
2,美術館の女
3,夜の唄
4,日本自殺考(朗読、作・寺山修司)
5,御不浄の神様
6,畸形の天女
7,恋のドメスティック・バイオレンスNo.1
8,腦病院へまゐります。

間のMCで私はこう言った。「寺山修司生誕70年記念ライブ、ということで今回は特別 に寺山さんの「日本自殺考」を読ませていただきました。私は寺山さんが生きている時にはまだ意識したことはなく、亡くなってから作品に触れたりしたのですが、今は、このあと出演なさる昭和精吾によって改めて出会い直し、また、今も出会い続けている、と感じています。だから直接寺山さんを知らない私がこういうイベントに出られることはとても光栄なことです」
それを受けてヂルさんが「私は寺山修司とは縁もゆかりもない人間で、こういう(冠をつけた)イベントをやっていいのかと迷いもあったのですが、昭和精吾さんに出ていただけることになったので、実現することができました。ですから今回のライブは寺山修司へのオマージュとか追悼の意味を込めるのではなく自分たちの表現をするなかで、"私の中に棲みついてしまった寺山修司"を感じていただければいいなと思います」と言った。 (ライブ内容については雑居房か、私のページの制作日誌にて書きます)

終了後、楽屋で昭和さんとセッティングの段取りをしたあと、ジーンズに着替えて、顔を洗って普通 のメイクで客席へ。

第二部 母檸檬
(残念ながら後半2曲くらいしか見ていないので資料なし。寺山さんの「私が娼婦になったら」の詩を歌っていたのは楽屋で聞いた)

終って照明ブースへ荷物を置きに行って、昭和さんの舞台のセッティング。 机と椅子をだすのだけど、あいている机がなくて、三脚を載せていた机を舞台に上げ、(また保さんに手伝ってもらっちゃった、ありがとう)原稿、グラス、水を準備して、オペ室へ。客席は寺山さんの講演会の声が流れてて、なんとミラーボールが回っていた、ミラーボールはさっきも回っていたのだろうか。気付かなかったなら、余程慌てていたのだな。

第三部  昭和精吾
1,アメリカよ
2,鞍馬天狗(『邪宗門』より)
3,一白水星(『おさらばの辺境』より)
4,スーパーマンの詩(朗読/イッキ)
5,長篇叙事詩 李庚順
6,雪か?
7,国家論(『人力飛行機ソロモン』より)
8,寺山さん自身朗読の短歌十首(テープ)
9,エンディング

今回の舞台は、昭和さんがライブハウスの勝手がわかってライブハウスに合った方法をだいぶ確率していたことと、ないと思っていたスモークがあったという嬉しい誤算で、いままでのライブハウス公演では一番よかったと思う。
普段の構成だと最初は暗い照明の中でギター伴奏の『暴に与ふる書』の短歌から静かに入り、『恐山和讃』で禍々しいムードになって『李庚順』なのだけど、今回はなんと、しょっぱなが(通 常なら前半のサビのシーンである)『アメリカよ』。いきなりトップスピードから入るという斬新な構成なのだ。合同稽古でこの構成表を見たとき、昭和さんの柔軟な発想に敬服した。これまでのいい作戦にとらわれず、こんな風に自分でぶっこわして再構築、思わず「どうやって考えるんですか?」と聞いてしまった。
作戦は成功。『アメリカよ』、つづいて『鞍馬天狗』『一白水星』と、トークをはさみつつ激しいナンバーが続く。昭和さんのやわらかいトークと詩の朗読の強さのコントラストが映える。かといってトークからブランクをはさまずにトップギアなんだから(特に『鞍馬天狗』はオペの私達も毎回びっくりする)、ほんとに昭和さんはどういう心臓をしているのだか! 『李庚順』は時間の都合上(序章なしの)ショートversion。『雪か?』『国家論』は(受け手の状態もあろうが)最近では一番内容が伝わってきた。
ライブハウスのかたは煙出すたび「そんなに出すの?」って不安顔だったけど、わしわし出しちゃった。特に『李庚順』の「李はガス栓をひねった」に合わせて出すところなんか、「音がしちゃうのに、なぜ今煙出した?」って思っただろうな。音も煙も、演劇的効果 のうちだもんね。換気がいいので、結構すぐに消えてしまったけれど。きっとそれも、劇場とライブハウスの違いなのだろうな(一曲が短いから、いつまでも煙ってては困るのだろう)。

最後昭和さんが2バンドのメンバーを舞台に呼んで、紹介してくれて、終了。
客席ではテラヤマ新聞の稲葉さんと金子さん、寺山マガジン製作会社VOYAGERの林さん(先日の「太陽がいっぱい」録音の時にいらしたひとり)、先日BBSに書込みをしてくださった東京幻想倶楽部の麿さんらと会う。片づけて、昭和さんとイッキは翌日用事があるので早めに帰っていった。 のち打ち上げ。天舞鑑の市川さん、人形作家のアリアーヌさん、私設テラヤマ新聞掲示板の管理人・BUFFさん、その常連さんの、ようこさん(先日の大阪公演にもご来場、本日は仕事で東京にいらしていたが残業で舞台は見られず)と、なつみさんらとお話する。 打ち上げが始まったのが既に23畤を回っていた(そもそも公演が終ったのが22:30を回っていた)ので、終電は諦める。そこでアリアーヌさんとは着物の話から骨董市→日本のシルクロード→照葉樹林ベルト→銘仙・紬の成り立ち→照る照る坊主→コケシ→砂糖→スモーク・・・と随分長いこといろんな話をした。ほとんどの方は初対面 だったけれど、楽しい打ち上げだった。
市川さんが「こもださんが犬吠埼と組むと聞いた時は驚いたねぇ。なんで知りあったの?」と言う。「昭和さんの若手公演で私をみて、誘われたんです。市川さんは?」「俺の照明をやってくれた人の手伝った公演に犬吠埼が出てたんだよ」「じゃあ舞踏繋がりじゃないんですねぇ」市川さんいわく「こういう変な繋がりが寺山さんの回りではよく起きる」のだそうで、そもそも私と市川さんとの出会いも、新宿オリヂン座の第一回公演のお客様としてで、1992年末だから12年半前になる。そのあとも何度か見ていただいて、昭和さんの公演のお客様の中に市川さんをみつけて、やっと天井桟敷にいたかただと知ったくらいだ。出会った何年後かに昭和さんの公演に出ている私を見て、「昭和さんの紹介でシアターpooを使ったのか」と納得(勘違い)したらしい。 本当は、1992年の昭和さんの公演を見たヤオさんから私と創さんに「すごいのがあるから見て」と電話をもらって行ったのが、昭和精吾事務所公演『長篇叙事詩・李庚順』。シアターpooと昭和精吾を発見し、年末にpooで公演をうち、翌年の昭和さんの公演を見た時に(面 識もないのに)劇団みんなで挨拶させてもらったのが昭和さんと面識を持った最初で、その後昭和さんがオリヂン座の公演を見にきてくれたり、公演のお知らせをいただいて何度目かに「こもださん(当時はまだ「さん」付け)、次の公演、出てみませんか」と誘われて一度は公演時期が合わずお断りせざるを得なかった。機会が来て参加できたのが1997年『仮面 劇・犬神』(渋谷ジァン・ジァン)だった。私が黒子2、坂戸が黒子3だった。「正統派アングラ界を知らない。どんな風にやればいいんだろう?」私と坂戸は行くまで心臓がバクバク。江東区の稽古場に向かう雨ふりそぼるバス停で、坂戸と最後の台詞合わせをした情景はよく覚えている(事前に台本をもらっていたので台詞が入っていなかったら絶対怒られると思ったのだった)。あの日のことはきっと坂戸も強烈に覚えているだろうな。昭和さんに「はいじゃあワオーンって吠えて。」とか「フクロウやって。・・・そうそううまいうまい。」って言われたこととか・・・。
話を戻す。
帰る方向の話から何気なく「池袋の方です」と答えるとなつみさんが「私の会社も池袋の方です。要町ってわかります?」「私住所、千早です」「千早!!会社も千早です」「千早何丁目ですか?」結局、私のマンションの隣のブロックに彼女は勤めていることが判明したのだった。市川さんが「な、寺山さんの回りって変につながるだろ?」
それだけ、この世界には寺山さんに影響を受けたり繋がっている人が多いという証明でもある。
みんな寺山さんの「叫ぶ種子」なのか。種子「だった」人も含めて。

まり

 





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