青森県三沢市からの手紙/こもだまり



『われに五月を・青森編』
日時=1999/07/31(土)
会場=青森県三沢市民会館
出演=昭和精吾

『書を捨てよ、町へ出よう』
日時=1999/08/01(日)
会場=寺山修司記念館
出演=昭和精吾、八尾建樹、こもだまり、諏訪友紀



Yへ

1999/07/31


今、一日目の本番前の客席(ど真ん中)。あと10分で開場、私は予想通りスライド係、兼ピヨピヨ笛隊(八尾・スワも)。ちなみにスワちゃんはピヨピヨ笛デビューなので緊張しまくってる。

朝8時頃青森のやすらぎ荘に到着。夜行バスは初めてで、ちゃんとは眠れなかった。朝ごはんを食べて、9時半から温泉に入れるというので待つ。9時半までスワちゃんと「暑いねえ・・」とかいいながら(なんとこの日青森県では記録的な暑さだったとか)9時半になったので温泉へ。140円。ふたりで眠いねえ、とか疲れたねえ、とか言いながら温泉に入ったら、外はいい天気で、窓の向こうには湖が見えてて、青空で、とにかく気分がいい。いい感じだねえ、とふたりでしあわせになりながら「でも青森に来た、ってのはまだわかんないよね」と話す。とりあえず温泉に入りたかった私たちの希望は満たされ、かなり幸せになる。

そのあと仮眠して、バスで淋代海岸(さびしろかいがん)へ。道々で寺山修司記念館館長であり、寺山さんの従兄弟である孝四郎さんを拾って、淋代海岸へ。海を見て、青森の海の色は、私の知ってる瀬戸内海の色とは違うんだなあと思う。そのあとバスツアーのみんなはあちこち寺山さんのゆかりの地巡りに行くが、我々「昭和精吾事務所ご一行様」は直接劇場へ向かう。

小ホールに入り口で今回の司会進行の大沢さんに迎えられる。「大先生はもうご到着だよ。」中に入ると、音響の高木さんと昭和さんがすでに舞台上で打ち合わせしている。照明の森崎偏陸さんもインカムつけて走ってる。「こもだはスライドね。八尾とスワは笛ね」と即仕事がいいつけられる。10分くらい打ち合わせたあと「いい?いくよ?」といきなり通し稽古。バスで眠っていないので照明が暗い場面では条件反射的に睡魔が来る。なんとか持ちこたえてリハ終了。そして今に至る。

手紙を書くのは初めてだなあ、と思いつつ、まあでもメールはさんざん送ったっけ、と眠い頭で考えています(なんでこんなこと書いてるかというと、何かしてないと眠ってしまうから)。バスでは映画を見ました。「書を捨てよ、町へ出よう」とこないだの「人力飛行機ソロモン(一日だけの天井桟敷)」。最後の最後、昭和さんが学校の屋上から出演者全員にみあげられて読む「国家論」はかっこよかった。「おれはきっといつの日か飛ぶだろう」とかリアルだった。あんなに大音量でマイクでしゃべること事態、普通に生きてたらあり得ない。ちょっと市街劇を体験した気になりました。「書を捨てよ・・」では主役の佐々木英明さんがオープニングで八尾が「サーカス」でやった「スーパーマンの詩」を読んでいて、でもちょっと語尾とかが違うバージョンでした(青森弁だし)。最後の方で昭和さんが読む「アメリカ」も、青っぽい色で、若い昭和さんの雰囲気に合ってたけど「身を捨てるに値すべきか祖国よ」が「身を捨てるに値するだろうか祖国よ」とか「親父の作った大日本帝国!」が「親父のつくった日本!」とか細かいバージョン違いで、今昭和さんのやってる「アメリカ」が最終稿ってことなんだと理解しました。寺山さんは聞きながらよく直したらしいので。

3分前。客入れの「寺山さんの講演会の声」が流れ始めました。「どうも、遅れてすいません、飛行機が・・」と一昨年に何回も聞いた声。開場しました。ツアーのお客さんの他にもたくさん来てくれて、公民館は結構たくさん人が入ってい ます。さあ、本番。今日は「われに五月を」。

開演のキューがきて、音響が「邪宗門」のアジになる。それが終わると客席に小鳥の声(八尾)。飛んで中央で鳴き(まり)上手で鳴き(スワ)、舞台で鳴く(昭和)。そのあとハーモニカが入り、すぐギターを弾きながらの短歌に行くはずが、長い長い無音状態がつづく。照明の偏陸さんも心配してる。私もさすがに不安になるほどの長い間。ハーモニカが鳴ってなかったら絶対倒れてると思ったろうけど、さっきハーモニカ吹いた人が倒れるはずないからもうちょっと信じて待つ。 かなり経って・・たぶん1分くらい?やっとギターが鳴る。スタッフ全員、ほっとする。照明が入り、本編が始まる。「短歌」「恐山和讃」「李庚順」「おさらばの辺境」「アメリカよ」。「いいかあ!」と昭和が最後の叫び、じっくりと暗転(偏陸さんはつきあいが長いだけあって照明もぴったりだった)。そして明るくなると昭和が話しだす。

「どうもありがとうございました。こんなに暑いとは思いませんでした。聞くところによると35度、だそうで。昭和は、寺山さんもなんですけど特異体質で、気温が30度越えると足の親指からとけてきちゃうんですねえ、だから時々冷房の効いた茶店に入って固めてからまた外を歩くとかしないといけなくて・・・」などと暑いネタをしたあと、
「こもだ、スライド返して」と寺山さんの生原稿のスライドを見せて
「これがさっきやった生原稿ですね。客席もちょっとあかりもらえますか?」と本物を客席に回す。
「それくれぐれも持って帰らないでくださいね。こういう角張った特徴のある字を書く人でしたね。いつも鉛筆で書いてて、間違えると消しゴムで丁寧に消して、また書き直す、といったような几帳面な人で、鉛筆は三菱のユニをつかってました。Bでした。僕の所に生原稿が残ってるのは、寺山さんが本番中にたとえば「昭和!これを次に読め!」って、つっこみって言うんですけど台詞をその場で渡されたりしたからなんですね。寺山さんの言葉は語呂がいいので覚えるのは苦労しませんでしたね。それで自分の出番までに一生懸命憶えて、ばーっと読むわけですよ。寺山さんを驚かしてやろうと思っ ていっつも完璧に憶えましたねえ。はい、次はなんですか?」昭和と寺山さんのツーショット。20年以上前の写真か?
「これはですねえ、本当はこのころに一度寺山さんと三沢に来たかったですねえ。結局寺山さんとは三沢に来れなかったんで。昭和はもう寺山さんの歳を10も越してしまいました。次はなんですか?」寺山さんの高尾霊園のお墓の写真。
「寺山さんを無理矢理連れてきてしまいました。今年の5月に17回忌があったんですけど僕は本番で出られなくてねえ、でも寺山さんは「昭和、おまえは本番やってればいい」って言ってたような気がしますねえ。さて、質問がなければ、あんまり暑いので、雪でも降らせますか」

雪か?
いや雪だって降らせることができるのだ
中野刑務所の屋根の上に
大学の鉄格子の上に
回想のロシア クレムリンの別れに
カリャーエフのつめたい唇
二分後にはセルゲイ大公暗殺の爆発が起こるとは
誰も予想だにしなかった暗い空に雪が降っていた
俺には名も家族もなかった
だが、言葉は冬を夏に変えることもできる
あの銀杏並木のペテルスブルグの夏
イズマイロフスキー大通りの古本屋で買った一枚の絵葉書
どこか名も知らぬさみしい川岸の眺め
すべての俳優は亡命者である
祖国は言葉の中で生まれ言葉の中で死ぬ
思い出すことはたやすいことだ
たとえ実際に起こった事であろうとなかろうと それが歴史であるならば
イズマイロフスキー大通りで
血にまみれて横たわっていたサゾーノフと 打ち砕かれた四輪馬車
そして 俺の手の中のピストル
または北海道の雪の荒野に消えて行った名もないスパイ
工藤鉄蔵 俺の叔父

そして また俺はなれる
政治暗殺から遠く離れたサーカスの象飼育人
泣きぐせのアル中の淫売のヒモ
または七つの顔の多羅尾伴内
そして また俺はなれる
一度はノック・アウトされながら
復讐の冬のロードワークに励む ウエルター級の無名のボクサー
*サビンコフの著書を万引きする大学生
密航の夜霧の中で懐中電灯で自分の足元だけを照らす朝鮮人李学
ファローサンダースのレコードを叩き割って
大声で泣き叫ぶ破産の革命運動家
国境からめくらの鳩を飛ばしてやる 永久亡命の俳優でしかない俺自身に
俺自身に 俺自身に
(「雪か?」)


僕は今、日本人であることの意味について考えている。その言葉が一体何を意味する のか?
エンツェンスベルガーはドイツの大部分の人々がジャガイモをバターで料理できるこ とと、どんなリベラリストであれ自分の思想を印刷させることが許されていることに ついて書き、しかし、そのことだけでは祝うべきことは何もないのだ、と言っている。 当然のことである。僕が日本人であるという事の意味とドイツ人がドイツ人であると 自称するのとは確かに違っている。連邦ドイツ、西ドイツ、東ドイツ、一つの名称を 持った二つの政治国家がドイツ人に国家の意義の再考をうながすのとは、おそらく違っ ているからである。
ドイツ人にとって「ドイツ」という言葉は、もはや亡霊であり、それを口にするのは エンツェンスベルガーが指摘するように一連のアポリアに身をさらすことになる。 160年前にヘーゲルは「ドイツはもはや国家ではない」と言ったが、まさにドイツで ドイツ人であることを確かめようとしたならば、理性を嘲るような矛盾に悩まされる だろう。
しかもそれは一度だって単なる政治的アポリアとどまるためしはなく、「ドイツ人で あることの名称と実体との同一性がもつアポリアだからである」。そのアポリアの解 決をイデオローグとか経済専門家、あるいは政治家にまかせておくことは出来ないと、 エンツェンスベルガーや同時代のコミューンの人達は言っている。・・・・・
(「国家論」)




1999/08/01



AM10:20
バスで移動中(揺れる)。今、寺山さんの記念館に向かっている所。
さて、今日、急遽出演することになりましたよ。今朝、朝ごはんを食べにスワちゃんと9時頃レストランへ降りていくと、高木さんと八尾さんが一緒にご飯を食べていて、昭和さんは誰かと一緒だったようだけど今は一人で食後のコーヒーを飲んでいた。
「ここ座ったら?」と呼んでくれたのでご一緒する。
「昨日は何時まで飲んでたんですか?」
「 10時半だよ。あの(交流会の)あとカラオケ行ってさあ、歌いすぎてのどに来てる。いっくら詩を読んでも何ともないのに、歌うとのど痛くなるんだよね。どういう事だろう?」なんて笑ってる。そして突然
「あなたたち今日出番あるから」と言う。また冗談を・・なんて思ってたらお膳が来る。和食の朝定食。おみそ汁、温泉卵、納豆、お新香、ごはん、サバみそ、酢の物など。
「まあメシ食べてからでいいや、打ち合わせしようと思って夜帰ってみんなの部屋ノックしたけど誰一人としていなかったからさぁ(我々はシングルル ームだった)、これはどっか繰り出してるな、と思って寝たよ」昭和さんはコーヒーをもう一杯もらう。その頃はバスツアーのお客様二人とうちのメンバーで飲みに行ってました。

あ、もう着く。詳細はまた後でね。


PM1:00
今本番2時間前くらい? イベント自体は1時間後に始まる。
本当に急遽出演することになって、ワンピース(コットン生地の赤いソフトチャイナ)をもってきててよかったと思いつつメイクも済ませて、記念館の隣の森の散歩道のまん中くらいかな、文学碑の前のベンチで書いてる。大っきな本が開かれて立ってる文学碑の前に、ビクター犬が一匹いる。寺山さんの高尾のお墓と同じ構造だ(お墓では狛犬みたいにいるの)。
「青森寒いかなあ?」どころか、暑い! 記録的温度だそうで、30度超えてます。手紙用に持ってきたこの便箋が役に立った(あとで説明する)。

まず、朝の打ち合わせの続きね。昭和さんはコーヒー飲みながら
「今日も暑そうだなあ・・・」
「やっぱり野外ステージだと溶けますかねえ」
「溶けるでしょうそりゃあ・・・」すでにイヤそうであった。我々が食べ終わってコーヒーを飲み終えた途端、
「じゃ、行くよ。あっちのソファで話そう」と席を立つ。高木さんと八尾さんにも声をかけて、ソファへ。ロビーにあって、外が見える、ふっかふかのソファ。昭和さんは早速メモを取り出して話始める。
「じゃあ、最初から行くよ。まず俺がトークのあと「アメリカ」やるから、そのあと八尾がハンドマイクで「スーパーマン」ね」え?と思う。でも昭和さんのメモにもそう書いてある。本気だ。本気で「昨日おもいついた」んだ。驚いてる我々3人を放って昭和さんと高木さんで話は進む。
「早く気付けばよかったよねえ。高木、曲ある?」
「うーん・・・あれでいいんじゃないですか」
「で、こもだと諏訪、何できる? まさか「ビバ・アメリカ」(先日の公演のオープニングで踊った曲)踊るわけにもいかないだろ?」
「質問とかどうですか?」
「ああ・・いいねえ、でもあれは完璧に憶えてないとかっこわるいよね」
「ああ・・確かにねえ」
「じゃああれどうだ、短歌の掛け合い」掛け合い? 見たことあるやつか?
「高木、台本もってるか?」
「ちょっと待って下さいね、ありそうな感じしてきた・・・・」
「あれだったら見てやっても絵になるよ」
「あ、あった」
「これコピーしてもらって」と早速コピーを配布される。「森駈けてきてほてりたる・・」から始まる、二人掛け合いだ。見たことあるけど、どう見せるかが結構難しい。
「はいちょっとやってみて」早速読まされる。
「ええと、もっと歌って。寺山さん短歌はもっと歌わないと」といって見本を聞かせる。
「わかった?はいもう一回」と3回くらいやって、
「見てやっていいから、練習しといて。でも人のいるとこでやらないで。バスの中なんてもってのほか」といって先の打ち合わせになる。
「そのあと、『朝鮮詩』『どもり』『邪宗門』やってうーん、『永山則夫への70行』はどうしようかなあ」
「でも昭和さん、今日永山則夫の執行日なんですよね」
「そうなの? ああ・・じゃあやるかなあ・・。でもまあ一応おいといて」
「はい、用意しときます」
「で、最後に『方言詩』やって終わりね。これで1時間くらいでしょ」
「たぶん」
「じゃあこれで行こう。こもだと諏訪は練習しといてね」ってことで放免されて、部屋に戻り、バスに乗る。

皆でバスで記念館に向かう。我々は野外ステージに直行。暑い!屋根が半分しかない。かつ、客席はもろ直射日光。これはお客さんも大変だ。高木さんがスピーカーのチェックを始めている。「恋の片道切符」がかかる。こないだ踊った曲なので、条件反射で踊らなきゃいけない気になり、諏訪ちゃんしばしと踊る。次に「一番遠いところはどこ?」のギターがかかる。「われに五月を」のMDだと気付く。犬神凶子さん(犬神サーカス団のVo.)が単独で予告編にでてくれたときの、犬神情次2号さん(G.)のオケ。「なつかしいねえ」なんてのんびりしてると「こもだ!」と早速呼ばれる。
「これ、この曲だから」と曲をかける。聞いたことある。シーザーさんの曲だ。
「こっち来て曲に合わせて読んでみて」というのでオペ室周り(オペ室、というより機材の置いてある木陰だが)でこっそり練習する。だいたい感じがつかめたのと、あんまり小さい声で練習してると気分悪いので何回かやって終わる。
「八尾さん、『スーパーマンの詩』の曲、これで行こう」と打ち合わせてるうちにスワちゃんと、実際に舞台に立ってみる。ステージの正面も森、上手側にも森。下手は道路、後ろが記念館。いい天気で空もきれいな色。雲がちょっと、時々基地から飛行機が飛んでいく。とりあえず、暑そうだけど気分はいい。
スワちゃんと一緒に森に行ってみることにする。森の散歩道には随所に寺山さんの短歌の道しるべが立っており、道しるべの上には道案内(お葬式会場に向かう指さし)もついてて、ちゃんと寺山さんらしい。

一個目はまさに今日一個目によむ「森か駈けてきて・・」だった。森駈けてきてほてりたるわが頬を埋めんとするに紫陽花くらし。ほかには寺山さんの短歌の「見るために両目を深く裂かんとす 剃刀の刃に地平を映し」とか気にいってるのが道しるべになってたからここまで口ずさみながら歩いてきた。

進んでいくと湖に出る。なんだか涼しげ。水を見ると涼しい気がするのはなんでだろう。早速練習する。これまで【gold】でやった短歌の掛け合い『さまでして』をヒントに「ここは早めに読むから」とか「ここはかぶろう」とか打ち合わせて、まあ形が決まる。こないだ自分でこういうの構成してるから「私だったらここで切らない」とか好みはあるんだけどとにかく今日は時間がないので、このままいくことにする(微妙には変えたけど)。しかし風が強い。練習してる間も何回も飛ばされそうになった。コピーで渡されたのは原稿用紙の大きさだからめくりづらいし。「これ、小さい紙にしない?」といい、この、今書いてるこの便箋に書き写すことにした。そしたら昭和さんにみつかって「うん、その方が絵になるよ」とオッケーが出た。

記念館には寺山さんがいっぱい流れてる。入り口には質問に答える寺山さんの映像(「あなたを数えるとしたらどんな単位?」「何回って数えて欲しいですね」なんて言ってた)、奥の部屋には「徹子の部屋」の寺山さんの映像(「テレビでは笑わないようにしてるのに」と言いながら笑っていた)、机の引き出しの中の受話器から聞こえる寺山さんの声。「アメリカよ」と短歌を朗読してくれるの。黒電話の受話器握って黙ってきいてると、こっちから寺山さんに話しかけられるような気がしてくる。してくるからこそ、寺山さんは今、生きてないんだなあ、と余計に思う。

まだ散歩の途中だった。またあとで。


PM9:30
今、帰りのバスが動き始めた所。
ちょっと揺れるけど(昔よく電車で書いてたりしたので慣れてる)、書いてしまおう。

野外公演はうまくいった。楽しかった。
第一部は寺山さんにまつわる人々がいろいろ出てくる。
最初は寺山さんが作詞した「古間木小学校校歌」斉唱(生徒)。2番目が「短歌の朗読」(中学校3年8組)。3番目が「さつきコーラス」というコーラス隊が寺山さんの詩に曲をつけたのを歌う。2番目の8人くらいの子供達は、ダウン症の子達で、先生が「マッチ擦る」と最初の五音を読むとみんなで「マッチ擦る、つかの間海に霧深し、身捨つるほどの、祖国はありや!」と動き(振り)つきで元気よく読む。昭和さんも高木さんも九條さんも「やられて」しまって、みんな泣いていた。うまく読もうなんて狙いとかなくて、ただまっすぐに、寺山さんの短歌が好きで大きな声で読んでいたのが印象に残る理由かもしれない。九條さんは「素人ってこわい。子供と動物にはプロは適わないのよね」と楽屋に来て笑ってた。昭和さんも「俺、あの後でやるのイヤだなあ。あんたたちのシーン(短歌)やめとくか?」と言うくらい「やられた」と言い続けた。ちなみに九條さんは昭和さんを「昭和!」って呼ぶ。我々の周りにそんな人いないので新鮮。

第二部はトーク。
九條さんと昭和さんと、さっきの3年8組の担任の先生で自分も歌を作っているという斗沢先生(女性)がパネラーで大沢さん(前に昭和公演の演出を したことがあるらしい)が司会。昭和さんはあまりの暑さにもう溶けかけてるらしい。大沢さんに「大丈夫ですか、昭和さん?」て言われてる。トークの中で、九條さんが「寺山さんが長い文章(詩とか)を読ませたのは信用してる役者三人だけで、それが映画『書を捨てよ、町へ出よう』主演男優の、今日も会場に来てるけど佐々木英明と、天井桟敷主演女優の新高恵子と、この昭和精吾でしたね」と言った。知らなかった。あと、斗沢先生が初めて寺山さんの短歌を教室で読んだとき、みんな憶えたがってすぐに憶えてしまった、とか、そのあと海に行ったら生徒が貝を見て「耳だ」って言うから聞き返したら「寺山修司の耳だ」って言ったんだって。

そんなこんなあって、昭和さんの時間になる。
セッティング。マイクも諏訪ちゃんと私のはスタンドで上下に置かれる。昭和さんがらみでは初めてマイク。高木さんが私の背にあわせて高さを決めてくれる。昭和さんの水も用意して、私とスワちゃんは昭和さんの後ろに座り、とりあえず本番開始。
「今日はどうも暑い中ありがとうございました」とトークから入り、昭和さんの『アメリカ』。後ろから見るのは初めてだ。野外ステージで、聴衆(て感じ)に向かって叫ぶ昭和さんの後ろ姿を見ながら昔の天井桟敷を味わってる気がする。こうやって叫んでいたんだろうなあ、と思う。そして
「『スーパーマンの詩』ってのがあるんですが、・・・さあ、スーパーマンは今日、どこから飛んでくるでしょうか?」といい、曲が入り、昭和さんの狙い通り、誰もが昭和さんが語り出すだろうと思ってるところの、八尾さんが客席からハンドマイクで現れる。というより、お客さんは舞台上の昭和さんを見てて、いつ読むんだろう、と思ってると声が入るから「録音?」って気になって聞いてると、八尾さんが舞台に歩いていくのに気付く、という感じ。八尾さんは昔から、止まってるとドキドキしちゃうけど、歩きながらとかだとリラックスしていい声がでたりする方で、今回も、「サーカス」でやった、じっとしてるバージョンより落ち着いて始まったように見えた。歩いてきて、舞台に上がって、おもむろに眼鏡を外して演台に置いて(それがなんだかかっこよかった!)舞台中央へ。昭和さんの前を通り過ぎるとき、昔の昭和さんもこんな感じだったのかなあ、と思う。脳内麻薬でまくり、というのは後ろから見ててもわかった。終盤の「僕の名前は・・・」は昭和さんの新演出。
「僕の名前は・・って言ったら俺がマイクで「昭和精吾」って答えるからそしたらこもだとスワのとこ行ってマイクで名前言わせて。そのあとはお客さんにマイク向けてどんどん言わせてって・・あとはやってみないとわかんないな」
「僕の名前は」
「昭和精吾」
「僕の名前は」
「諏訪友紀」
「僕の名前は」
「こもだまり」
「僕の名前は・・・」
一人目のお客さんから素直に答えてくれて、皆自分の名前を言う。中には「森崎ヘンリック(と発音した)」さんも混じってて、でも一観客にすぎなかっ た人達が自分の名前をマイクで次々に名乗る光景はなんだか予想外にすごくて、ぞくっとした瞬間があった。

そのあと八尾さんトーク。
「今朝、私の朝食は和定食だったんですが、そのサバみそに手をつけようとした所で昭和さんが「八尾。今日『スーパーマン』やることにしたから」と言われたんですねえ。」を受けて昭和さんが
「さきほどの中学生の寺山さんの初期短歌の朗読、感動いたしました。それに負けないように、やはりサバのみそ煮を食いながら「これを読め!」って渡したやつなんですが・・・果たしてどれくらいの成果があがっていることか、早速やってみてもらいましょう」と、スワちゃんと私の出番。曲がかかる。ふたりはゆっくりとマイクの前に行く。スワちゃんが緊張して手が震えてる(らしかった)のでちょっとゆっくり曲を聴いて、息を吸ってから読み始める。『燃ゆる頬、森番、海の休暇』寺山修司初期歌篇によるダイアローグ、相聞形式の試み、というシーン。
読みながら顔を上げたら、野外劇場の舞台からは遠くの景色まで見える。風が吹いていて、日が射しいて、空には近くの米軍基地から飛行機がいくつも飛んでいく。初めてやる台本、初めての土地、初めての野外、初めてのスタンドマイク・・・ いろいろあったけど、昭和さんも八尾さんも舞台にいるし、音をかけてくれてるのは高木さんだし、それより何より、一緒にやってるのはスワちゃんなんだし、これまで一緒にやってきた分はきっとうまくいくはず、と思ってたから落ち着いてできたような気がする。

(男=こもだまり 女=諏訪友紀)
男 森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし
女 とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を
男 わが通る果樹園の小屋いつも暗く
女 ・・・父と呼びたき番人が棲む

女 「海を知らぬ」
男 「海を知らぬ?」
女 「少女の前に麦藁帽の」
男・女「われは両手を」
女 「ひろげていたり!」
男 「ひろげていたり?」

女 吊されて玉葱芽ぐむ納屋ふかくツルゲーネフをはじめて読みき
男 啄木祭のビラ貼りに来し女子大生の古きベレーに黒髪あまる

女 「そら豆の殻一せいに鳴る夕」
男 「母につながるわれのソネット!」
女 「ソネット?」

男 「胸病みて」
女 「胸病めば」
男 「小鳥のごとき恋を欲る」
女 「わが谷緑深からん」
男 「理科学生と」
女 「スケッチブック」
男 「この頃したし」
女 「閉じて眠れど」

男 「囚われしぼくの雲雀よかつて街に」
女 「空ありし日の羽音きかせよ 一本の樫の木やさしその中に」
男 「血は立ったまま眠れるものを」

男 「チェホフ祭の」
女 「ビラの貼られし林檎の木」
男・女「かすかに揺るる」
男 「汽車過ぐるたび!」
女 「煙草くさき」
男 「国語教師が言うときに」
女 「明日という語は最も」
男 「かなし」
女 「知恵のみが・・」
男 「知恵のみが?」
女 「もたらせる詩を書きためて」
男 「あたたかきかな」
女 「あたたかきかな?」
男 「林檎の空き箱」
女 「ア・キ・バ・コ・・・」
男 「ふるさとの訛りなくせし友といて」
女 「友といて・・友といて・・」
男 「モカ珈琲はかくまで苦し」
女 「莨火を床に踏み消して」
男 「立ちあがる」
男・女「チェホフ祭の若き俳優!」

昭和さんが話す。
「ありがとうございました。これを構成してくれたのは佐々木英明なんですが、秋にはまた彼の演出する『県立平内高校20周年記念文化祭』で僕は青森に来ます」という会場で見ている英明さんへのサービスも忘れない。
「僕には韓国人の李という友達がおりまして、彼は酔っぱらうといつもこういう詩をやっておりました」と『朝鮮詩』へ。昭和さんの朗読をみるといつも思うけれど、なんでこんなにいきなり憑依できるんだろう。「・・・おりました」と言って「チューメーイ!」と詩を読み出す時にはもう、ほんの瞬きの間に誰かになってしまう。死んで逝く者の祖国とは夕焼け雲のおもむく彼方。死んで逝く者の祖国とは夕焼け雲のおもむく彼方。
「ぼくは子供の頃どもりでして・・自分なりにいろいろして克服したんですが・・・」と『どもりの詩』へ。

こころに太陽を、の「こころに」が言えなくて、「こ、ここ、こっ、こ、こ」と言ってニワトリとあだ名された。
僕は卵も産めないニワトリ小学生だった。・・・
でもみなさん、どもることもひとつの思想ではないでしょうか?・・・

続けて「人形を操る人形使い それを操る黒子の私は鞍馬天狗」から始まる『邪宗門』の鞍馬天狗(これは『仮面劇・犬神』の前に見られると思う)。

この世は引き合い求め合いの納豆さながら糸地獄 切っても糸が切れるわけじゃない
さあ覚悟を決めろ!
糸を切るより操ってみろ!


最後に昭和さんが書いた方言詩『寺山修司への33行』を読む。方言なのでほとんど聞き取れない、のに昭和さんが寺山さんに向かって話しかけてる ことはわかるからなのか、昭和さんが空を指さして「飛んでる鳥こも・・」と言った時には涙が出てた。

舞台上で記念撮影(お客さんと出演者全員で!)して、舞台裏。昭和さんは 「楽しかったなあ! 地方公演でこんな楽しかったの初めてだよ」と興奮していた(溶けかけてたけど)。『スーパーマン』かっこよかったねえ、とか、いろいろうまくいったねえ、とか、暑かったねえという話の中で
「でもさ、【gold】で鍛えられた成果なのかもしれないけど、短歌の掛け合いもよかったよ」と高木さんがいい、
「うん、よかった」と昭和さんも言ってくれた。
「昭和さんあれいつもすごい時間かけてやらせるのにできないじゃないですか、でも今日は時間ほとんどなかったのによくできたよ」
「できないだろうなと思ってたんだけど、形になってたね」なのだそう。一安心。

そのあと昭和さんは念願のしじみラーメンを食べるため、飛行場に向かわず我々より一足先に高木さんとやすらぎ荘へ向かった。バスツアー一行がやすらぎ荘に到着するとふたりが玄関前でたたずんでいる。なんとツアーのメニューに入っていたはずのしじみラーメンは、午前中で麺が出払ってしまったため「売り切れ」!!昭和さんは楽しみにしていただけに、見るからにガックリしていた。そんな状態でも「楽しみにしてたのに悪いから」とポケットマネーでバスツアーのみなさんに缶ビールを一本ずつサービスする気遣いをして、昭和精吾事務所チームとは食堂で打ち上げして、飛行機時間に帰っていった。
バスツアーチームはそれから温泉に入り、なんとか調達してきてくれたお弁当を食べ、一休みしてバスに乗り込んだところ。これからまた2時間ごとのトイレ休憩を挟んだ、長時間バス。おみやげを買うつもりだけど、休憩は15分しかないし、だいたいこんな夜中におみやげって売ってるのかなぁ? あとで隙があれば(夜中だけど)電話かけてみる。おみやげと電話、どっちをとるかだね。


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註1)森崎偏陸さん =元・天井桟敷劇団員。寺山はつさん(寺山修司のお母様)と養子縁組したため、寺山さんの弟でもある。 BACK
註2)九條さん =元・天井桟敷プロデューサー、元・寺山修司夫人。偏陸さんと同じく、寺山はつさん(寺山修司のお母様)と養子縁組したため、寺山さんの妹でもある。 BACK