桟敷の扉
劇団の思い出 その23

この絵も暗いがロケに使用した洋館の部屋の一部である。
右、白の衣装姿は先輩俳優、下馬二五七氏で、かつての天井桟敷の所在地(2−5−7)をそのまま芸名にしていた。
小柄であったが抜群の演技力と柔軟性を持ちダンスも得意でさまざまなものを学ばさせてもらった。
1984年、パルコ劇場での「時代はサ−カスの象にのって」が最後の共演となってしまった。


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