桟敷の扉
劇団の思い出 その7

テレビには東映時代に何度かチョイ役で出演した事があったが、本格的なスタジオでの撮影はこれが始めてで、なおかつ生放送であった。カメリハが終わり担当者が急ぎ足で私に寄ってきた。「ここ何とかならない?」問答をくり返している私に何事かと思ったのだろう。広いスタジオの片隅で別 の打ち合わせをしていた寺山さんと萩原さんが飛んできた。

寺山「どうした、昭和」 昭和「これって放送禁止語だそうです」  寺山「構わん、俺の書いた通り読め」  担当者「それは出来ません!」 
話し合いと言うよりは激論になってしまった。結果的に寺山さんが折れた。担当者が現場へと復帰。
寺山「昭和、何がいい」 昭和「顔では・・・、」 寺山「甘すぎる」 昭和「ヘソのゴマでは・・・、」 寺山「どっと笑いがくる」 萩原「足の裏では・・・、」 寺山「足の裏か・・・、よし、時間がない、それでいこう」。萩原案が通 った。 「できるならば一度はその、お〇〇を舐めてみたいナタリ−・ウッドのアメリカ」の一行が「足の裏を舐めてみたい」に変更された。寺山さんはよっぽど悔しかったに違いない。
寺山「昭和、今日は俺が下がったが俺のために今まで何人ものディレクタ−が番組を下ろされているからね、いいか、3台のカメラがあるだろう、頭に赤ランプの点いているのが今、放映しているカメラなんだ、詩の最後に3台のカメラを盗み見し赤ランプのカメラに向かって、その星条旗で撃て!アメリカじゃなくていい、テレビをつぶせ!でも構わん!」

ワイドショウ11PM
『天井桟敷テレビ版大公演』(仮題) カラ−放送
昭和44年3月26日(水)pm11:10〜am0:25(第10スタジオ)

   本番、数分前のハプニングであった。
司会・三木鮎郎、他にジェ−ン・アダムス、おおばひろし
   ガリ版刷り、震えるほど懐かしい。


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