精吾の扉
昭和精吾について その18


1969年6月19日(木)スイスから帰って午前9時30分パリを発ちインドへ向かった。
飛行機を間違えてイスタンブ−ルまで連れて行かれたハプニングもあったが無事インドから香港を経て23日帰国した。 海外公演組で一番遅い帰国であった。
当時、残留組は地下劇場を使って作・熊谷博道、演出・武井育子、稲葉憲仁(現・テラヤマ新聞編集長)の共同演出で「オデッセイ'69」を上演していた。 サイケ、怪奇、アングラが流行語となっていた時代である。
「東京アドベンチャ−ナイト」コ−スという、はとバスのコ−スにこの芝居が入ったのである。
その時の記事である。
7月15日の総会までまでゆっくり休めるか。多少時差ボケの中「スグコイ テラヤマ」。電報が舞い込んだ。この芝居を見た寺山さんが大幅な手直しに着手した。渡された長台詞をマンツーマンで徹夜で稽古し次の日から舞台に立った。きつかったのは確かだったがバス会社から入る5万円のギャラは魅力があった。在団中、もっとも潤ったのはこの時一回限りであった。

 

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