精吾の扉
昭和精吾について その2

だいぶ前になるが某ラジオ局の放送で聞いたことがあった。確か青山のお寿司屋さんでの事だったと思うが市村正親氏がバッタリ滝沢修氏に会った時の話である。 市村氏曰く 「先生が巡演でわが町へ来られた時、私はまだ高校生でしたが先生が演じられた〜セ−ルスマンの死〜に感動して役者をめざしたんです」 滝沢氏曰く 「そう、それは済まない事をしたね。わるかったね」 と、答えたそうである。名優滝沢氏なればこそ、この話は聞ける。
「先日の試験の結果・研究生として入団合格です。十五日午後七時よりの総会で新入劇団員として紹介しますので七時までに来て下さい。 渋谷区渋谷三ノ十一ノ七 TEL四〇九)一一五七      天井桟敷」
この日、寺山さんと会わなかったら自分の人生は大きく変わっていたに間違いない。たった7円に過ぎない合格通 知状。されど人生を変えてしまった7円。あまりにも重い荷を背負いながら63歳。とうとうここまで来てしまった。ほそぼそと年金なるものを貰いながら定年まで後、2年。何としても退職まで背負い続けたいのだが・・・・。
そういえば今日は命日だっけ。

(2004/5/4記)

 

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