精吾の扉
昭和精吾について その25

学生服を腕まくり、同期だった小雨小町の持つ「力石徹」の遺影に向かって弔辞を読み上げた。裸足だった。

ジァン・ジァン公演の準備のため講談社へ内田編集長を訪れた。月日の長さを感じた。もはや編集長ではなく立派なポジションに就かれていたが快く会ってくれ「昭和君、ちょっと待ってて」と言って葬儀が掲載された『少年マガジン』の記事をコピーして持たしてくれた。感激だった。

そのコピーからの画像なのではっきりしないがご勘弁ほどを。
著作権に引っかかりそうだが、独断で載せてみた。

2007.02.14

 

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