精吾の扉
昭和精吾のこと その9

さて、あのきれいだった星条旗が何時焼かれたのかの話である。この写真は1971年1月27日(水)場所は後楽園ボクシング・ホ−ルのリングのロ−プ上である。映画「書を捨てよ町へ出よう」のポスタ−用の撮影が開始された。出演者が全員リング上にスタンばった。寺山「撮るのをちょと中止する。昭和、旗を持って俺と来い」演出グル−プだった竹永茂生氏も一緒だった。連れて行かれたのはホ−ルの外の廊下であった。寺山「遠くから見ていると旗がきれい過ぎるんだよな。昭和、焼いてもいいか」私は黙っていた。寺山「竹永、下から火をつけろ」燃え出した星条旗は中々消えなかった。慌てた二人は床に落し足で踏みつけて消し始めたが私は一切消化活動には協力しなかった。ただ黙って見ていた。そしてこんな形の星条旗に変わり果 てた。

この写真はブロンズ社出版、寺山修司・舞台劇詩集「盲人書簡」( 昭和48年6月20日第一版発行 写 真撮影・松山悦子)の冒頭から拝借した。確か一度だけ白浜研一郎氏と一緒にお会いしたような気がする。本からとはいえ了解なしにアップしたことを深くお詫びする。定価1600円。
余談になるが「ガリガリ博士の犯罪画帖」も手元にある。写真・篠山紀信2冊とも、まだまずまず綺麗だ。バカ値だそうだがまだオ−クションに出すつもりはない。


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