TEXT:ジァンジァン公演『われに五月を』(1995) ダイレクトメールより

「北里大学病院」 昭和精吾



桜舞う季節になると、突然風景が逆戻りして弱い初冬の陽が斜めに差し込んでいた、あの北里大学病院の一室での事を、ふと思い出します。

静かにドアを開けるとベットに横たわって、本を読んでいました。
「寺山さんバナナですけど」
「おおっ、そこへ座れ」
「寺山さん あんまりここを抜け出さないほうが・・・」
「なぜ、昭和 貯金16万しかない」
「16万もあればいいじゃないですか」
「季節を間違えた」
「何ですか」
「あれは桜の季節にやるもんだ」
「ああ、でもそれじゃ全く赤穂浪士じゃないですか」
「昭和は何も知らん 昔から男の美学とはそんなもんだ」

なぜだか分かりませんが、その時の寺山さんの顔は非常に悔しそう名表情でした。
昭和45年11月25日、三島由起夫が衝撃的な割腹自殺を遂げてから、数日後に見舞った時の事でした。

「昭和も言葉じゃなく、俺みたいに言語で喋れ」
「どう違います」
「言語には思想がある」
今もってその言語と言葉の違いを、理解出来ずに言葉を喋る私です。

思い出話と詩・短歌で構成した二夜です。
皆様と又お会いしたいものですね。

4月8日(木)午後より一時激しい雨



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