TEXT:山田太一『路上のボールペン』(新潮文庫)

「寺山修司さんへ ─1983年『弔辞』」 山田太一



寺山さん
あなたは「死ぬのはいつも他人ばかり」というマルセル・デュシャンの言葉を口にしていたことがありましたが、そして、あなたの死は、私にとって、もとより他人の死であるしかないわけですが、思いがけないほどの喪失感で──あなたと一緒に、自分の中の一部が欠け落ちてしまったような淋しさの中にいます。

あなたとは大学の同級生でした。
一年の時、あなたが声をかけてくれて、知り合いました。大学時代は、ほとんどあなたとの思い出しかないようにさえ思います。
手紙をよく書き合いました。逢っているのに書いたのでした。さんざんしゃべって、別れて自分のアパートへ帰ると、また話したくなり、電話のない頃だったので、せっせと手紙を書き、翌日逢うと、お互いの手紙を読んでから、話しはじめるというようなことをしました。

それから二人とも大人というものになり、忙しくなり、逢うことは間遠になりました。
去年の暮からだったでしょうか。あなたは急に何度も電話をくれ、しきりに逢いたいといいました。私の家に来たい、家族に逢いたいといいました。
そして、ある夕方、約束の時間に、私の家に近い駅の階段をおりて来ました。
同じ電車をおりた人々が、とっくにいなくなってから、あなたは、実にゆっくりゆっくり、手すりにつかまって現れました。私は胸をつかれて、その姿を見ていました。ようやく改札口を出て、はにかんだような笑みを浮かべ「もう長くないんだ」といいました。あなたは、昔からよくそういっていたので、またはじまったと、笑って応じましたが、その時は冗談にならないものが残ってしまいました。
その晩は、どの時をとっても、哀惜とでもいうような感情が底流に流れているような夜でした。

あなたは、私の本棚を魅せろ、といい、どの棚もどの棚も丁寧にたどって、昔の本を見つけると「なつかしいねえ」と声を高め、ミシェル・フーコーを読んだか? ジャック・ラカンはどうだと、本棚と本棚の間の狭い空間が学生時代に逆行してしまったような時間をすごしました。

それから続けて二度逢い、最後は深夜、あなたの家の前で、タクシーに乗る私と妻を送ってくれたのでした。それから一週間もたたないうちに、あなたは倒れてしまいました。終りの四カ月に、再び濃密な思い出を残して──。

十八歳の時の「チェホフ祭」からはじまり、あなたの作品には、幾度もおどろかされ、感動しましたが、私には、あなたは何より、姿であり声であり、筆跡でありました。それらは、かけがえのない魅力を持っていて、いまはただ、とめどようもなく燃えつきてしまった輝きを惜しんで、うずくまるばかりです。本当に、あの世というものがあるなら、再会して、狭い片隅で、時間を気にしないで、本の話を、心ゆくまでしたいものだと──切望しています。せめて、そんな時の来るのを、あてにして。
じゃ、また──といわせて下さい。



戻る