▼この作品は、寺山修司が28歳の1964年、初めはラジオドラマ『犬神の女』として発表され、第一回久保田万太郎賞を受賞。後に戯曲に改稿され、同年10月『仮面劇 -吸血鬼の研究』と題し上演された、若き寺山の傑作一幕劇である。

▼その後1969年、演劇実験室・天井桟敷が西ドイツ演劇アカデミー主催の国際演劇祭に招待された際、初めて、『犬神』のタイトルで初演、帰国後、草月ホール・鎌倉などで上演された。当時のスタッフには、美術/粟津潔 振付/竹邑類、出演/新高恵子・下馬二五七・萩原朔美・新宿新次・蘭妖子・昭和精吾など。

▼【犬神伝説】に材をとったこの作品は、上記のように放送台本から戯曲へなど、寺山自らたびたび手を入れ、後の『田園に死す』などにつながる寺山芸術の特徴である〈土俗性〉〈フォークロア〉への独特の視点が色濃く反映され、青年の血を吐くほどの孤独と、救済への絶望的なまでに激しい希求を、見事に描ききった記念碑的作品となっている。

▼これは、この作品がまず【ラジオドラマ】として、また【仮面劇】として構想されていたため、寺山修司を希有な劇詩人とした根元的才能 = 【言語によるエモーション喚起力】が過不足なく、オリジナリティ豊かに結実した結果である。

▼彼の精神を一貫して継承し、あくなき絶唱を続ける元「天井桟敷」の昭和精吾が、この名作に新解釈で挑んでいる。

▼これは天才劇詩人・寺山修司の言語世界を、自らの肉体として記憶することを決意する昭和精吾の、十年に及ぶ【寺山修司研究】のひとつの到達点と言えよう。


TEXT:「初演時パンフレット」より



昭和精吾事務所では過去4回上演(1993スタジオ錦糸町/1995渋谷ジァン・ジァン/1997渋谷ジァン・ジァン)、1999年4月にはロックバンドとの共演(犬神サーカス団ワンマンライブ『結束在黒夜』の中で上演)により、生演奏とマイクによる全く新解釈の『犬神』を作りあげてみせた。しかしこれはあくまで昭和がゲストとして彼らのワンマンライブに参加したのであり、つまり犬神サーカス団の土俵での上演であったが、渋谷ジァン・ジァンでの最終公演ともなる12月は昭和の土俵での上演であり、これまでの『仮面劇・犬神』に犬神サーカス団の音楽性・演劇性を迎え入れた、これまた新解釈と呼ぶべき舞台となった。(■レポート)





女詩人によって語られる、ある一家の物語。
時は大正。谷間の犬田家に嫁にいったミツはある日、山に漬物梅を拾いに行って犬に襲われ、帰って来たときには頭がおかしくなってしまっていました。身ごもったミツが「犬の子が産まれる」と嫌がりながら産んだのが月雄でした。母は自殺し、父は女と逃げてゆき、犬田家には月雄と姑だけが残りました。二人は村の皆から「犬神筋だ」と畏れられ、村八分にされながらも、仲良く暮らしていました。でも月雄が青年になった時、納屋に迷い込んだ犬=シロを飼い始めたところから、また新たな悲劇が始まるのでした・・・。

"かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて 誰をさがしにくる村祭"

siro photo
登場人物
女詩人
月雄
シロ
 
取上婆 ミツの夫 近所の男 近所のおかみ
先生 裁判官 花嫁 花嫁の母 黒子たち



1996年『仮面劇・犬神』上演にあたって/昭和精吾
1969年1月 私はアメリカの前衛劇に憧れて東映より寺山さんが主宰する演劇実験室「天井桟敷」に入団した。ベトナム反戦ロックミュージカル「ヘアー」がオフ・オフ・ブロードウェイで話題を独占していた頃である。

そして その年の3月渋谷並木橋近くに粟津潔氏の設計による「天井桟敷館」が設立され、オープニング公演が音楽劇『時代はサーカスの象にのって』であった。この公演が私の「天井桟敷」における初舞台となったのである。

幕が上がってまもなくドイツ・フランクフルトで開催する世界前衛演劇祭(エクスペリメンタ3)への招待参加の話が劇団に舞い込んできた。

寺山さんはこの仮面劇「犬神」と「毛皮のマリー」の2本の作品を持って参加することを決めたが私はまだ入団して3ヶ月足らずの研究生、先輩の劇団員も大勢いることだし「天井桟敷」にとっての初めての海外公演の話も同じ劇団にいながら私にはどこか遠い所での話だとしか思えず 毎日無心で『アメリカよ』の詩を叫び続けていた。

しかし何故か寺山さんは寺山さんを始めとするヨーロッパ公演14名のメンバーの中に大して成績も良くなかった私を入れてくれた。正直言って本当に嬉しかった。

初めて乗った国際線。パリ「青年の家」でドイツの若者等と過ごした2週間。ジュネーブからレマン湖を渡りローザンヌよりインターラーケンまでスイスの奥深く入った静かな街並。待望の「ヘアー」を見たロンドンでの数日間。

飛行機の乗り継ぎを間違えてイスタンブールまで連れて行かれその間違いで見ることができたあまりにも大きすぎた真っ赤な夕陽。

長髪だったために「ヒッピー」と間違えられマリファナを持っていないかと道具の仮面までほじくりかえされ、とうとう一晩空港に泊められてしまった香港での5日間。そして「ブラボーブラボー」いつまでも拍手の鳴り止まなかったT・A・T(テアトル・アム・トゥルム)劇場。教会跡だったというカメリタ廃虚の庭園で行われた公開討論会。この演劇祭で一番感動したピーター・ハントケによる男優二人だけの無言劇『どちらかが間抜けだ』。

まだ1ドルが360円だった時代でもう30年前にもなろうとしている話だが、怖いものが何もなかった私もそれなりの二十代の青年だった時の話でもある。

寺山さんはこの『犬神』を虚構の復権と位地付け、「俳優とその劇的な幻想が現実に紛れて行くのだ、すべての人間が俳優になるのはステージの上ではなく街の中である」と言った。この『犬神』の上演を境にして我々は劇場からの解放を唱えながら街に走り出ていったのであった。


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