TEXT:寺山修司「誰が力石を殺したか」

「誰が力石を殺したか」寺山修司

力石はスーパーマンでも同時代の英雄でもなく、要するにスラムのゲリラだった矢吹丈の描いた仮想敵、幻想の体制権力だったのである。丈の風来橋の下での生活、あの犯罪の日々、交番襲撃から集団窃盗、そしてじぶんの血を売って丈をボクサーにしようとした片目の丹下段平の父性への裏切りといったものが、しだいに「あしたのために1」といった紙片による学習へと綱領に組み込まれ、二流の技術のために一流の野性を失ってゆくことになったのである。
「あした」を破産させられたあしたのジョーはどうするか? また新しく幻想の敵を獲得し、水前寺清子のように
♪東京でだめなら名古屋があるさ・・・
と うそぶきながら、トレーニングにはげむか? それともスラムへ帰って昔の仲間たちと解放の夢からはなれて暴力団にでもはいるか? かつてのチャンピオン小林久雄のように浅草のなかを肩で風切りながら、ときにはテレビのボクシングを見て感傷するか?
 力石は死んだのではなく、見失われたのであり、それは七〇年の時代感情の憎々しいまでの的確な反映であるというほかはないだろう。東大の安田講堂には今も消し残された落書きが「幻想打破」とチョークのあとを残しているが、耳をすましてもきこえてくるのはシュプレヒコールでもなければ時計台放送でもない。矢吹丈のシュッ、シュッというシャドウの息の音でもない。ただの二月の空っ風だけである。
 

(抜粋)






寺山修司原稿(昭和精吾・所蔵)

TEXT:「筆蹟鑑定」昭和精吾(ユリイカ1993年臨時増刊号「総特集・寺山修司」掲載)


「力石徹告別式次第」解説  昭和精吾
 

’60年代後半から’70年代初頭にかけて「巨人の星」「あしたのジョー」「愛と誠」など、劇画ブームであった。こと、「あしたのジョー」は毎週講談社から寺山さんに送られてくる少年マガジンを競って廻し読みした。ボクシング漫画に過ぎなかったが、我々は体制と反体制の図式で捉えていた。ジョーの宿敵・力石徹が試合に勝ちながらも減量がたたって死ぬ。その時すべての読者は涙を流したといっても過言ではなかった。その力石の葬式をやろう、と東京キッドブラザーズの東由多加が寺山さんに持ちかけたというのが定説になっているようだが、東さん本人に直接聞いてないので、真偽の程は定かではない。
僕はその告別式で弔辞を読んだ。「力石徹よ、君はあしたのジョーの明日であり、・・・・」で始まるその弔辞を今でも全部覚えている。七、八年前ジァンジァンで再演したことがあった。原作者の梶原一騎さんも見に来てくれた。が、その梶原さんも亡くなって七年が過ぎた。

▼文中にあるとおりジァン・ジァンに於ける「われに五月を」で最近何度か再演した作品である。このたびケーブルテレビのANIMAXで12月7日より「あしたのジョー2」を放映するにあたり、番組宣伝のため特別企画「力石を殺したのは誰だ?」という番組に、作者のちばてつや氏、当時の週間少年マガジン編集長などのほか、この詩を読む昭和も出演する。1999年10月18日、浅草のボクシングジムにて撮影。
11月30日(火)夜10:00〜10:30/深夜1:00〜1:30/4:30〜5:00の三回放映予定。

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