「『時代はサーカスの象にのって』初演時のおもいで」 昭和精吾


初日を目前にした舞台稽古の日は東京から記録的な大雪に見舞われた。
各交通機関は完全にストップ、人々は一斉に地下鉄へ殺到、大幅な遅れを出しながら超満員の乗客を乗せ地下鉄だけがかろうじて運行されていた。
当時、西武池袋線椎名町駅近くに住んでいた私はその大雪の中、足を取られながらも池袋駅まで歩き、三時間かけてやっとの思いで劇団にたどり着いた。
「よく来れたな、昭和」。たった一言寺山さんは言った。結局、劇団員全員が集合できずゲネ・プロは出来なかったが、急遽行われた寺山さんによる特訓が現在の私の朗読の形を持つ結果となってしまった。ゆえにこの『時代はサーカスの象にのって』の初演時の思い出話となると、まずはこの大雪の話から始まる。

すでに「アメリカよ」の詩を朗読するように言われていた私はアメリカ前衛劇に憧れて東映より天井桟敷に入団して二ヶ月ほど経っていた。完成間近だった天井桟敷館は渋谷区渋谷3-11-7にあり、場外馬券場に程近い東横線からも眺められたガソリン・スタンドの隣にあった。その奇抜な外観は粟津潔氏の設計によるもので、往来する人々が必ずしばし足を止める姿を見ては誇らしげにさえ思っていた。
定員は60名と言われた小劇場は、狭い階段を降りた地下にあった。開演7時、上演時間1時間少々だったこの音楽劇は、連日超満員で身動きできないほどだった。入場できなかった観客のためにもう一回9時から上演をするといったことが度々あった。私の初舞台ともなったこの作品は、作:寺山修司 演出:萩原朔美(現 多摩美大教授)美術:及川正通(「ぴあ」の表紙イラストで活躍中)。
出演者:新高恵子 下馬二五七 支那虎 空手竜 カルメン・マキ 蘭妖子 新宿新次 鎌田賢(何を隠そうこれが昭和の本名である)。
すでに演劇界を去ったメンバーもいるが、下馬二五七、蘭妖子、カルメン・マキ等は現在も活躍している。1969年3月15日スタート、巷ではデモ隊の声が流れ、ゲバ棒、ノンポリ、ミンコロ、三派すでに死語となった言葉もあるが、当時は日常茶飯事的に使われていた。その当時の空気を吸った者は、出演者の中には私以外誰もいない。いや、まだ誰一人生まれていないのだ。これは恐ろしい事だ。萩原朔美氏が寺山さんの一周忌の時、パルコ劇場で再度この作品を演出した。私も出演したがはっきりと時代の雰囲気が違っていた。演出の手腕で舞台は盛り上がったが、さらにその時から十四,五年が経とうとしている。時代を再構築してみせるほどの手腕が昭和にあるだろうか?四苦八苦である。
エイッ!面倒だ!演出じゃなくて水先案内人当時のまま上演してみようか?


是非見て頂きたい。
(1997/12/30)


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