昭和精吾・・・名付け親は萩原朔美氏である。

▼1941年 
12月14日、大日本帝国陸軍大佐だった父の元、旧満州新京陸軍官36号室にて出生(現・中国長春市)。 終戦間際、白山丸にて本土に引き揚げ、父の実家であった秋田県北秋田郡下川沿村(現・秋田県大館市)の農家で育つ。 1998年に創立100周年を迎えた地元の県立大館鳳鳴高校を卒業後、意味もなく漠然と上京、演劇の道へと進む。
▼1967年 
「劇団青俳」(故木村功、岡田英次、宮本信子、蜷川幸雄、諸氏等が在団)演劇研究所に入所。 成績悪く昇格できる当てもなく、「東映」演劇研究所に再入所。 『網走番外地』(高倉健・主演)シリーズや『初詣列車』(渥美清・主演)、及び当時の東映刑事物のテレビドラマにも チンピラ・フーテン等のチョイ役で数多く出演。
▼1969年 
1月、演劇実験室「天井桟敷」に入団。『時代はサーカスの象にのって』『仮面劇・犬神』 『毛皮のマリー』『イエス』『書を捨てよ町へ出よう』『ガリガリ博士の犯罪』『ブラブラ男爵』 『市街劇・人力飛行機ソロモン』『邪宗門』等、1969年後半より70年代初頭にかけて全ての天井桟敷公演に参加。 天井桟敷第1回海外公演「国際実験演劇祭」(フランクフルト)にもメンバーとして参加。
▼1971年 
永山則夫(1997年8月死刑執行)を東京拘置所に訪ねて上演許可を取り、永山則夫著作『無知の涙』をもとに『俺のどこかに20歳がある』を東京、大阪、京都、秋田等で上演。 同時に、秋田に「奥羽企画」設立。高田渡、遠藤賢司、加川良、三上寛、山平和彦、友川かづき、モップス等当時のフォーク連中と秋田、岩手、青森などで精力的に演劇活動とともに音楽活動も続ける。
▼1980年頃 
前後より続けられていた渋谷ジァン・ジァン主催の【寺山修司連続公演】に寺山氏の没後初参加、現在に至る。 1999年も、5月・8月・12月の連続公演を敢行。(詳しくは上演リストをごらんください)
▼1984年 
寺山修司没後1年、『時代はサーカスの象にのって』(パルコpart.3)に、初演時も演出だった萩原朔美の演出で若松武らと共に参加。
▼1990年 
グローブ座公演『リア王』 にリア王役で出演。
また花岡鉱山中国人強制連行・強制労働による事件を自ら脚色・主演した『花岡物語』(平成2年度芸術祭参加作品)上演。
番外としては、三和銀行や東京電力のコマーシャル等にも出演。 趣味は登山。山岳写真ではプロ級の腕を発揮し、「研展」にも入選、都美術館展示の経歴をもつ。 過去に二回の個展も開催。
書斎には自分のPCを置き、DMも自分で作る。
このページもちょくちょくのぞいている模様。

 

 

 

 

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